いじめの責任

今週の新聞に某という有名な女性が文章を載せていた。まとめると「いじめの犯人探しは気味悪い。責任の半分はいじめられる側にもある」という物だった。
まぁ、なんだ。失笑せざるを得ないな。この人はどこを落としどころにするつもりでこんなくだらないことを書いたんだろう。
この文章を読んだ人の半分は「そうだそうだ。俺たちばかりが悪いんじゃない」と言うだろう。もう半分は「莫迦、いじめる奴が悪いに決まってる」と言うに違いない。つまり、彼女は現状の打破はおろか、中立な意見でも客観的な分析でもなく、いじめる側からの論理を正当化しただけだ。まさに火に油。投稿ならいざ知らず、仮にも新聞社から依頼されている人間がいい歳してこの体たらくとは。
もし俺がいじめについて意見するなら、「いじめられる方はもっとずるくなれ」と言いたい。
いじめる側はハナクソをほじるくらい簡単に行動しているんだから、正義とか信念なんか通用するはずが無い。この際、結果的に役に立たない半端な意地やプライドは捨てて、どう立ち回れば抜け出せるか考えて行動するべきだ。クラスに見切りをつけて部活や校外活動に集中して仲間を増やすとか、他の勢力に入るとか、先生を味方につけるとか、いっそ皆殺しとか、ケツをまくって転校するとか。
結論が流血沙汰警察沙汰新聞沙汰になったとしても、泣いて自殺して遺書を握りつぶされるよりは、ずるく汚く自分が損しないやり方で立ち回るほうが余程ましじゃないか。
あと、いじめる側を先生がブン殴れるように法律変えた方がいいよ。ハナクソほじるの止めさすのに、一々理屈なんかこねてられない。
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