時をかける少女

ラノベオタはすっこんでろ

ほぼ毎日時をかける少女とは - はてなキーワードをチェックしている。感想・批評・考察・ニュース等など色々あって楽しいのだが、以前読んだエントリにこんなのがあった(うろ覚えで要約)。

映画「時かけ」面白かった。原作小説も読んだがこれは昔のライトノベルですね。作者は知らんけど。

噴飯した。言うに事欠いてSF作家の重鎮・筒井康隆と「時をかける少女」をラノベ認定かよ、視野の狭いラノベオタはすっこんでろ。
SFの流れを汲むだけあって、ラノベはSFとよく似ている。奇想天外なストーリー。「君が○○と感じれば、その小説は○○だ」というコピー。悲しいかな他の文芸より一段低く見られるところも、だ。
でもな。やれアニメ化だなんだと持ち上げられれば「SこしFしぎなボーイ・ミーツ・ガール」一辺倒の、萌えと表紙に助けられてるライトノベル風情が、SFの名作(「傑作」ではない)を指してこれはラノベだって、莫迦ッ! お前は新潮の100冊からやり直してこい!!てなもんだ。

ラノベオタはラノベ以外の夢を見るか

というネタを練りこんでいたんだが、考えればこの「偏狭なラノベオタ」てのはずいぶん矛盾した存在だ。
そもそもライトノベルは【恋愛】【ホラー】【SF】【推理】といった明確なジャンルではない。雑多なジャンルを取り込んでいるのは「手段」であって、「目的」は「小説を読まないような人にも読んでもらえる小説」なのだ。
しかしジャンルフリーが進みすぎた結果、ラノベは全てのジャンルの上っ面を覆ってしまい、ついにラノベを読む事と小説を読む事がイコールだと錯覚しているラノベオタが増えたんではないか。極論「小説=ラノベ=ファンタジー萌えボーイミーツガール」だ。これはヤバイ。なぜなら、萌えとファンタジー以外の小説を理解できなくなるからだ。
大げさなこと書いてると思うだろうが、冒頭の時かけラノベと言ったのはまさにそうだ。この人は「SFとのファーストコンタクト」という【異界との接触】を「昔のラノベを読んだ」としか知覚出来ていない。こんな勿体無い話はない。

未知との遭遇

SFやってる身としては、「士農工商ラノベ」なんて蔑み方をするつもりはない。ジャンルに囚われず視野を広く持つことはいいことだ。
ただ、やっぱりラノベで小説を語るのは底が浅い。例えば、SFにも時代小説にもある、短編・掌編・ショートショートが、ラノベにはない。「読みやすい」のに「中長編ばかり」なのは、売り方の方針もあるだろうがラノベの欠点だ。
最後に。あまり腐してばかりでも面白くないので、時かけが楽しかったというラノベオタにちょうどいい作品をオススメしておく。ややサスペンスが混じってくるが、時間パズルの感覚は本家(筒井版時かけ)より高い。
タイム・リープ―あしたはきのう (上) (電撃文庫 (0146))