通りこすと云う事

「怒りを通り越して呆れた」「怒りを通り越して笑った」って表現が最近目立つようになってきたが、本当に通り越しているのか?
通り越すって事は、怒りには頂上が有るってことだ。その頂上を極めるのは実は非常に難しい。「憤死」や「怒髪衝冠」は無論、「真っ赤になって怒る」事すらそう多くない。それは時間の都合や他の用事、自分や相手の状況を考えてそこで「相手を許す」からだ。人を許すのは美徳だが、「通り越す」なら自分が積極的に怒らないといけない。それもせずに「怒りを通り越して呆れた」のは「怒る前に白けた」だけで、相手は「この程度なら許される」と思うだけはないか。怒る事を重要だと思うなら白けるな。もっと踏ん張って怒れ。
何度でも震えるほど怒り、それを許し、更に怒ってなお乗り越えられないのが「怒りの頂上」であり、その先に「絶交」「追放」「死刑」という名の「呆れ」が有るべきだ。でも俺は死刑賛成論者。