げんしけんと究極超人あ〜る

げんしけんの最終巻が出たらしい。連載は読んでいたが、途中で痛い人が出てきてくっついて急に終わりだったと記憶している。途中を大幅に書き足しているらしいが、まあBOOKOFFに並ぶまで読むことはないだろう。
ちょうどブームの頃。オタクのバイブルとして「80年代の究極超人あ〜る」「現在のげんしけん」と並んで語られる事が何度かあった。おかげであ〜るもげんしけんも何度か読み返したんだが、もし中高生〜二十歳前後のオタクがげんしけんを「あ〜る」と同じポジションのバイブルだと言うのなら、「貴様のオタクはその程度か」
読者としてあ〜るから受けた啓示は非常に大きい。一言で纏めると「規格外のことをやってみろ」だ。悪く言えば「莫迦をやる奴ぁヒーローになる」だが、コレは別に非常識な悪事を働く意味じゃない。何かやるなら突き抜けろ、そして立派な既知外規格外先輩になれって事だ。もっともゆうきまさみは次作「パトレイバー」の中で【80年代的莫迦ヒーロー】の内海と【偽善者上等、したたかな大人】の後藤隊長とをぶつけてみせるのだが。
一方、大人になってからげんしけんを読んだ高卒としては,これには莫迦ヒーローも大人も出てこない。いるのは漫研にもアニメ同好会からも見放されたうだつの上がらない連中で、一念発起してもコミケ参加程度の想定内なイベントしか起こらない。出てくる主役クラスはどこにでもいそうなオタクで、珍しい部類じゃない。それどころか、中高生のオタクはこのまま行くと誰でもこうなっちゃうよっていう、平々凡々たる(悪く言えば腐った)レベルだ。コスプレに関しては結構突き抜けた人は出てくるけど……あくまで脇役なんだよなあ。「都を目指す」と「住めば都」の「都」の意味は全然違うんだが、ごちゃ混ぜにしてない?
青春モノとして読んでるなら判るが、コレを到達点のように読むのはどうも理解できない。読者の自己正当化のみに使われるバイブルてのは、やっぱ時代の流れなんだろうか。コレってセカイ系?(酒が回ったのでここまで)