ゲド戦記

映画の元になった原作3巻を読んだが、この話はいきなり世界の危機から始まる。
世界の根幹を成す魔法が衰えてしまっていること。その為に由緒正しい王国の王子アレンがゲドを頼って魔法学院に訪れたところから話が始まる。
ただ、RPGでよくある「竜王が現れて世界が闇に閉ざされる」という話と根本的に違うのは、これが第3巻と言うことだ。
つまり、1・2巻で読者の中に積み上げられてきた魔法世界アースシー自体を滅ぼす、と言う強烈な内容、それも地獄の炎で世界が滅ぶという緊張感ではなく、世界の根源が腐り変質するという、言い知れぬ恐怖が全体に流れているのだ。
だから、アレンジするなら戦記物ではなくむしろホラーとして描くべきで、そこを「親父の小説とニコイチにすればいい」なんて監督が考えた時点で原作(と原作者と世界中の原作信者)をたばかっている。
さて。
ラジオの映画コーナーでは「命の大切さ」以外は宮崎駿と息子・吾郎の話ばかり紹介し、ネットでは驚くほど評判が悪い「ゲド戦記」だが、吾郎監督が監督ブログ

彼女は短く答えてくれました。
「It is not my book.
It is your film.
It is a good film.」
と。

彼女としては、本当はたくさんおっしゃりたいことが
あったのではないかと思うのですが、
それでも温かい笑顔とともに下さった言葉です。

この短い言葉を素直に、
心から感謝して頂戴したいと、思ったのでした。

と能天気に書いたところ、当ル=グウィン女史から長い長い感想が公表された
そしてその和訳が。
http://hiki.cre.jp/Earthsea/?GedoSenkiAuthorResponse
かいつまんで言えば、「宮崎駿に期待したのに監督が代わり、Earthseaがただの白人優位・勧善懲悪アニメ「GedoSenki」になってしまったので残念だ。でも声優は良かったよ」って事か。
小説・漫画→アニメの流れでは大抵、原作者が涙を飲むことになるのだが(つよきす騒動なんかもあったな)、片や世界三大ファンタジー、片や世界のスタジオジブリという外しようの無いタッグがこういう結果になるとは…。指輪とナルニアが見事に映画化したばかりなだけに残念な話だ。
それにしても、「指輪」のピーター・ジャクソン、「ナルニア」のアンドリュー・アダムソン、「ハリポタ」のクリス・コロンバスと同じ高みに【素人で建築家・宮崎吾郎】を立てようとした宮崎駿は本当に大丈夫なんだろうか。ジブリが「宮崎駿のためのアニメ会社」として立てられたのは有名な話だが、世界のファンタジー好きに後ろ足で砂をかけた今、重大な岐路に立たされていると思うんだ。
これで宮崎駿の次回作が「ゲド戦記」だったら笑えないなあ。
ところで。
「指輪」「ナルニア」「ゲド」(最近は替わりにハリポタを入れる時もあるらしい)の世界三大ファンタジーって、一体誰が言い出したんだろう? コナンやペルシダーじゃダメなんだろうか。