ARIA the ANIMATION #11 そのオレンジの休日を…

凄いなあ。ブログ・2ちゃん・GyaO感想。どこをみても褒め言葉ばかりだ。そんなわけで、あえてここで何が気に入らなかったのか書いてみる。以下はネタバレ。



AQUAは冬の到来。「空一杯に鉛色の雲。こんな日はあの銀色の天使が…」。

いつもの合同練習を終えARIAカンパニーに帰ってきたアカリたち。そこには「水の三大妖精」と言われる、彼女たちの先輩が集まっていた。
先輩たちから語られる昔話。いつも楽しく合同練習をして、それがずっと続く気がしていた若き日の「水の三大妖精」…。それを聞いていた最年少のアリスは、自分たちの合同練習にもいつか終わりが来ることに気づく。
しかしアリスの先輩アテナは、幸福は比べる物ではないと言う。「あの頃も今もこれからも、一緒にいる人と過ごす時間の中に、いくつもの楽しい事が生まれては消えていく。その一つ一つを捕まえることが出来たら、楽しさは尽きることがないのよ」
雪の降る夜の街。途中まで二人を見送ったアカリは、別れ際に感極まって藍華とアリスの名を何度も呼ぶ。

「青春時代の終焉」という、一昔前の青春物だけではなく現実の青少年も必ず通る道。王道と言ってもいいだろう。だから昔話でアリスが凹むのも、別れ際に藍華がアカリの髪をクシャクシャするのも非常によろしい。
シナリオにかぶるように良いタイミングで歌が入り、カメラワークもいい。このまま声無しでスタッフロールでもまとまる話なのに、ここから無駄が多すぎる。
この直後に二人の名前を叫ぶアカリが、何故ギャグ顔になるんだ。藍華が大声で禁止するのはいつものことだが、何故この期に及んでいつもどおりなんだ。アリスは(この雰囲気を作ったのは自分なのに)何故冷静に突っ込めるんだ。
特に橋の上で手を振るアカリ。そこで泣けよ。俺なら泣く。俺なら泣かす。泣かないならせめて黙って見送るとか、二人が遠くまで行ってから声をかけるとか良い演技しろ。それが、事もあろうにギャグ顔って何だ。いつもクサい台詞担当なのにここで照れてどうする。全てがぶち壊しじゃないか。
ラストシーンは曇天に浮かぶ空島と、雲間から覗く星空…って最後パンアップかよ!それどこの超監督 
出だしに「銀色の天使」とか言ってるなら、真っ白になったネオ・ヴェネツィアを俯瞰で撮るとか、誰もいなくなった橋とか、帰る二人の足音とか、もっともっと綺麗な雪にこだわって欲しかった。全くテーマにそぐわないラストシーン。褒めるところはないもない。

漫画版ARIAは見開き大ゴマで風景と雰囲気を魅せるのがウリなのに、アニメではキャラクタと台詞を前に押し出しすぎて、その部分が見えない。AQUAという名前がついていながらその味はガムシロップのように甘ったるい。
言葉には現象を固定する力がある。漫画版のアカリの台詞がこっ恥ずかしいのは、その言葉が固定化されていない詩になっているからだ。アニメ版は言葉を使いすぎる。半分しか話さなくても面白くなるのに、スタッフはそこをわかっていない。

アテナが首振りながら歌うのは、アニメ的演出って事で。本業でもないので突っ込まないで置く。