簡単な話

2日がかりで…いや、3日か?確定申告がほぼ完成したので画材屋へ遊びに行く。そこで聞いた話だが、最近はゆとり教育の弊害でか、美術・技術系の基礎教養がほとんど無い学生が珍しくないそうな。例えば肌色を作るのに何色の絵具を混ぜればいいのか判らないとか、漫画同好会のつもりで美術部に入ってくる高校生がいるとか。中には点描のトーンを見つけて「マンガ描くのって難しいと思ってたけど、こんなもの使うんだ〜」と得心してる輩もいるらしい。トーンの他COPICやIllustratorといったプロ使用の画材道具が子供にも使えるのは便利とは思うが、若い人はその「便利」の意味を極めて唯我独尊的に捕らえてるよなあ。
「子供を一流のものに触れさせる」のは昔からある事だけど、それは世界の大きさとか高みを子供に実感させるから意味があるので、「誰でも一流になれるひみつ道具」なんて物は世界の狭さ、自分も手軽に一流になれると思わせるだけで、名人や達人を馬鹿にしてる事なんだが、親はどう思っているんだろうか。
ドラマ化もしてブームが来ている「ドラゴン桜」では、「東大に入れる者は使える物を効果的に使うことが出来る、要領のいい面倒臭がり」というような話が出ていた。コレを始めて読んだとき「なるほど!」と感心したのだが、ひょっとするとこの「要領のいい面倒臭がり」の意味も現役受験生は俺たちと違う意味で受け止めているかも知れん。つまり「東大生の素質=他人の物のオイシイ所だけツギハギする能力」と思ってはいないだろうか? まぁ、あのマンガはいたる所に「要点を捕らえる・考える」事を重視する発言があるから、勘違いする読者もいないだろうが。
チョイと話は変わるが、先日2chVIP系ブログで「難しいRPGクソゲー。だからDQ3は名作だがDQ2はクソ」とコメントを出している人がいた。悲しいかな俺は21世紀のゲーム機を持たないので昨今のRPG事情は知らんが、ドラクエ2は思い出せば確かにクリアまでの道は厳しかった。復活の呪文のミスは多かった。3人パーティは一人の死亡も許されないのに敵のザラキは命中率が良かった。でも一蓮托生の3人は「友情・努力・勝利」の体現者だったし物語も十分ドラマチックだった。難しいからこそ面白いゲームがある、それが判らないのは勿体無いことだ。それとも21世紀のゲーム機は8ビット以上あるのにぬるいのばっかりなのか?
ところで、家に帰ってから気づいたがネオカラーが固まっていた。今晩の作業に必要なのだが、判っているなら買ってきたのに。なんとか水で溶かしながら塗る。