届け!この思い(論旨も皮肉も声援も)

論より情緒

読み解く力(1)記述問題 お手上げ日本

 「日本では、与えられた資料に基づいて自分の意見を述べる訓練が少ない。欧米基準のこうしたテストに、日本の今の国語教育を受けた子供たちが対応するのは難しい」

欧米で重視されるのは、「自分の考えを論理的に組み立てたうえ、いかに分かりやすく表現するか」。実社会で役立つ表現技術を身につけるため、物語の分析や本の要約などを徹底的に行う。これに対して、「日本の国語は、情緒的な読みに偏り、技術を嫌う傾向がある」

情緒的な読みって、どんなのか分かりませんが、論理よりも感情に重点を置いた、、或いは感情に訴える文章だと思われます。
小論文の勉強をした人はこういう事はある程度出来るんでしょうが、
特に子供には論理的・技巧的な言論を求めないのが日本的なのかもしれません。
理屈っぽいのは嫌われますし。
逆に言えば、子供にやり込められる程度にしか、日本の大人は弁が立たないという事もいえると思います。


さて、ここのところ「論理的な文章」で幾つか思うことが有ったので、まとめて長々書いてみます。

ケース1

小倉秀夫の「IT法のTop Front」】というブログがあります。小倉氏はIT関連に造詣が深い弁護士。
彼が年明けからのNHKvs朝日に対して書いたコメント(朝日寄り)に反論コメントが付いたところ、真っ向から論を受けない&反論を悪者扱いする事でコメントが沸騰。ブログ炎上となりました。
小倉先生ヲチまとめ


ここでやり取りされた文章は、極めて論理的です。相手の論点の矛盾や、情報の胡散臭さを指摘して相手の答弁を待つ。ある種の競技(或いは試合)です。
持論を持ち相手と論争するなら、相手の論に打ち勝つだけの論理が必要なわけですか。
ただ、これだけ露骨に論理的な話は日常で起こることは少ないでしょう。
相手の顔色も見ずにツッコミを入れていれば場の空気は変わりますし、本人は「揚げ足取り」と後ろ指差されることは必定です。
まあ、新聞記者や弁護士のような「言葉のプロ」が、ツッコミの一つや二つで醜態を晒すのも寒い話ですけど。

ケース2

TGX,参加者が思ったより多いので、締め切りから大幅に遅れて投稿しました。
直後Rさんの日記で、俺宛に「リアの書き方」アドバイスが載ったので有り難く読みました。感謝。
が。……なんだかGMに「事情がわからないのが不満です。」とか言った人がいたとか。
この一行で判断するのは危険ですが、まあなんと論理的!! そしてコレ使い所間違ってます。
今回のシナリオは外伝であり無料で自由参加の同人シナリオです。悪く言えば「仲良しごっこ」ですよ。
親しき仲にも理屈は必要ですが、その近距離から「ユーザー」として大上段から物申すのは考え物です。
下手をすると言葉が丁寧であるほど「思い上がっている」という印象を与えかねません。

時間が無いので閉めますが

「自分の考えを論理的に組み立てたうえ、いかに分かりやすく表現するか」
論理的な話は説得力があります。しかしそれだけでは抜き身の刀のようなもので、第三者には小気味よくても当事者には溜まったものでは有りません。
特にネットで発言をしている人は、大なり小なり自分をさらけ出しているだけに、その刀で大きく傷つくそうです。
読んだ人が賛同してくれるのかを考えると、【論理的な構成】の他【魅力のある文章】【分かりやすい表現】【見やすいレイアウト】【論破よりも納得や懐柔】等をを考える必要があるようです。







黒っぽい続編は気が向いたら書きます。でも今日も推敲する暇がないや。
もう限界なので寝ます。