対話も感情もない「萌え」のむなしさ― 犯人、楓ちゃんをフィギュア化 ―

http://homepage2.nifty.com/otani-office/nikkan/n041123.html
犯人が捕まらない奈良の少女殺人事件ですが、現在こんな怪文が波紋を広げています。長いので引用しませんが。
恐らく以前にあった、フィギュア好きな男性が同じマンションの少女を誘拐した話からこんな結論を出しているんだと思います。俺自身、犯人の家にはフィギュアを含むサブカル系のグッズが一杯有ると思っています。
しかしですね。
だからって「殺人犯=フィギュアオタク=萌え」てのは論理の飛躍も甚だしい。猟奇殺人とフィギュア萌えという、筆者の理解しがたい2つの現象を無理やりねじってくっつけた駄文としか言いようがありません。
萌えの定義も極めて歪んでいて、「キスの仕方も知らないゲームキャラにうつつを抜かすギャルゲーマー」というすさまじい物です。俺の思う「萌え」は、広義的には『好意的な興味を持つこと』。類義語は女性のよく使う「かわいい」だと思うのですが。

これは「萌え」を唱える全ての人間に対する侮辱です。
これは全てのフィギュアコレクターに対する侮辱です。


これだけ整合性社会性を欠いた文章を新聞に出しておきながら、殺人犯のみならず「萌え族」全てが脱人間的、没人間的だと言うのだから読者としても「むなしさばかりが襲ってくる」。



しまった、もうこんな時間じゃないか。まとまりのないまま寝ます。