なんで勉強しなきゃいけないのか? 「お前らの為だから」についてまじめに考える

1・その勉強は勉強じゃない

最初に、学生諸君には真実を伝えよう。
学校で机に向かってやるアレ。アレの半分は、実は【勉強】では無い。
残りの半分。それは【勉強の訓練】。
少し考えれば判るが、なんにだって訓練は必要なんだ。サッカー・イラスト・ギター・PCの組み立て……世の中の技能の全ては、訓練があって初めて本番で成功する。机に向かって漢字を100回書くことだって【勉強】の訓練に過ぎんのだ。
では、【勉強の訓練】があるなら【勉強の本番】とは何か?
それは【大人になってからやる勉強】だ。

2・じゃあ大人はどうして勉強するのか?

学生諸君にはそう見えないかもしれないが、大人は勉強する。それが毎日なのか年一回なのかは人によって違うが、大人だって勉強する。
なぜか?
それは自分の望みを叶えるためだ。
希望。願望。欲望。野望……。大人には色んな望みがあり、それを叶えるために自分を改造したり、周りの環境を変えたりする。その為に必要なのが【勉強の本番】だ。
大人に与えられる【勉強の本番】は、非常にシビアだ。時間は限られてるし、再トライするチャンスも無い場合が多い。自己採点が満点でも相手が×を付ければおしまいだ。
つまり【勉強の本番】は、効率的で効果的なものじゃないと全てが無駄になってしまう。
で、その勉強方法なんだが……これは、自分で編み出していくしかない。自分にピッタリ合う勉強方法を一日でも早く自力で見つけて、それを試してみるしかないんだ。
しかし、さすがにそんなオーダーメイドな勉強方法なんて学校では教えられん。そこで学校では、これをやっとけば【大多数の人にある程度の効果】が有るという、完璧には程遠いが及第点レベルの勉強方法ってのを使って、生徒に【勉強の訓練】をさせることにした。
これが学校で習う【読む・聞く・書く】なわけだ。
「英単語を10回ずつ書け」と先生は言うだろう。これは「10回書く」ことが目的ではない。正確には「目的は英単語を憶える事。その為に10回まで書いていい」であり「憶えられなければもう10回書け」なんだ。
まとめ
大人は望みを叶えるために勉強する。より効果的に勉強しなくてはならない。
その為には、目の前の問題をいかに手際よくクリアするかを、自分で研究して訓練しておくことが必要だ。
つまり、何で子供が勉強しなくちゃいけないか? それは『お前らのため』=『お前らが自分自身の脳味噌を、一日も早く研究して理解して訓練する』ため。

3・望みもなく勉強をする為に

「自分には勉強することでの望みは無い。大人になってからじゃないと判らない」
そういう人は多いだろう。その通りだ。大人式勉強法は目標が無いと使えない。
そこで、大人は目標なき子供たちにも研究と訓練をさせる方法を考えた。
一つは「褒美式」。一定条件を満たせば何かをプレゼント(=目標)する方法だ。夏休みの宿題が終ったらディズニーランドに連れて行くとかがこれに当たる。
欠点は、この訓練でどれくらい成果が出たのかがはっきり判らないところだ。また、宿題をコピペで済まされては【勉強の訓練】にならない。
もう一つは「ゲーム式」。勉強項目全てにポイントを付け、面クリアした時点でどれくらいのポイントを稼いだかを集計する方法。これなら自分の実力や他人との比較が全て数字で表されるので判りやすい。
これを【テスト】と呼ぶ。
テストを『先生が生徒を試す紙切れ』とか思ってる人、多いだろうなあ。でもこれは大間違い。大人の世界でテストってのは、欠点や改良点を見つけ出すために、自分の作ったものが思いどおりに動くかを試すことだ。
学力テストってのは、『生徒自身が、今の訓練方法が自分に合っているかを試し、欠点や改良点を考える』為のゲームなんだ。


テストと勉強の嫌いな学生諸君。
テストとは最初から有った物じゃなく、目標も希望もないという君たちの為に作られた仮の目標だ。そして、自分のやり方の欠点と改良点を見つけ出し、そこを重点的に再訓練出来るように作られたゲームだ。


そしてその全ては単なる手段であり、目的は大人になったときに欲しいものを手に入れるためなんだ。